8 光子はブラックホールであるべき

 例えばある素粒子が光速度近くまで加速されて質量が増えたとして、崩壊せずに同じ素粒子であり続けるなどとは、私には何となく釈然としないものがあります。ただ、質量が増えたからどうなるという理論はないのでしょうし、現に崩壊したとか変質したとかいう例はないわけなので、研究テーマにはならないということなのでしょうか。ただし、粒子加速器でブラックホールができてしまうという半ばオカルトめいたことは話題になりました。それで言うなら、諸論文においてアインシュタインは光子にも質量が存在すると表明しているわけであり、では光速度で動く光子は無限大の質量を持つはずなので、ブラックホール化しなければおかしいではないか、ということは相対論がぜひとも弁明しなければならない論点です。
 一応こちら側の理屈を書いておきます。光子はエネルギーを持ちます。したがってE=mc²から、光は質量をもちます。質量をもつものが光速度まで加速されれば質量は無限大になります。したがって光子はブラックホールです。どうでしょうか。異論の余地はないと思われるのですが。

 多少読みえた範囲で結論を書いておきますと、その疑問に対する回答は「光はエネルギーを持つが質量は持たない」という一方的な決めつけばかりでした。それはさすがに論外だと思うのですが、相対論の支持者はこれでよいのでしょうか。エネルギーを持つが質量を持たないということが事実によって証明されたのだ、それが分からないような奴は一から学びなおせ……ということらしい。相対論に沿った思考をしているつもりなのに、いつの間にかこちらが現実を無視したことになっている。
 光がE=mc²の例外扱いになる理由を、私自身考えてみないでもありません。一番ありそうなことは、相対論において光は特別な存在である、以上証明終わり、というものです。まあそれはさすがに論外なので、例えば光の特別さとは、明らかに光速度であることなのだから、そこから合理的に導く手段はないか。光速度においてのみ、速度が直接エネルギーに変換され、質量がゼロでもE=mc²が満たされる、などとか。この式が言っているのはmがゼロならEもゼロであるということですが、光に限ってはmにcを代入することが許される、すると2乗されているcの一つが消せるので(?)光のエネルギーはcであるという結論になる……何となく完璧?
 もちろん私が考えるということは、相対論支持者の頭の中でいかなる処理が遂行されているかを推理することにしかなりようがないので、純粋に考えることとはまた違った難しさがあります。ぜひとも支持者の見解を聞いてみたいものです。
 光子が例外であることを納得のゆく理論で示さない限り、光子はE=mc²の明確な反証として残りつづけます。それを指摘することが不勉強の証であるなどとは、あまりにも常軌を逸したたわごとというべきでしょう。それは真っ白な白鳥を指さして、「すべての白鳥が黒いことが、あの白鳥で証明された」と言い張るようなものです。