前口上
うらぶれた引きこもりが運営する場末のサイトにご訪問いただき、ありがとうございます。類似のサイトはあまた存在しますが、多少なりとも風変わりな視点は提供できたという気持ちはありますので、その一点だけでも楽しんでいただければ幸いかと思います。
まず言いたいことは、ざっとでもよいので読んでみてほしいということです。当たり前ですね。
前半の部分では、相対性理論が間違いであることを、異論の余地なく、万人に納得できる形で示したいと思います。それは、目の前にコップがあるとか、鶏はコケコッコーとなくということと同じくらい、全く疑問の余地がないレベルの話であって、伝聞その他の証拠に頼っている部分はありません。解釈次第ということもありません。
少しだけ常識的に考えてゆくことで、その数々の間違いは明らかにできます。
後半で、相対性理論論が間違いであるとして、思想としてどういう結果になるのかということを論じます。量子論は、現代最高の科学とされていますが、かなりの部分において相対性理論の影響下にあります。しかしそれが間違いであるとするなら、量子論も完全ではありえません。
そしてまた、ネオダーウィニズムも、必ずしも正確ではない。これはどちらかというと、それに対するアンチテーゼの主力、いわゆるインテリジェントデザインに対する誤解、すなわちそれは宗教原理主義と不可分の思考であるという、幾分仕方がないとも言えましょうが、そうした誤解に発するものであろうと思われます。
しかし科学法則とは、結局すべてデザインと言って差し支えないのではないでしょうか。例えばE=mc²が動かしようのない普遍的定理であるとするなら、それは宇宙がそのようにデザインされている、という解釈も可能です。物理学とは、宇宙がそのようにデザインされているという主張です。ところで、進化論は生物学であり、少なくとも物理学とは別の原理で動いているわけです。それを認めるなら、物理学も結局のところデザインの総体であると言ってなぜいけないのか。E=mc²が神の摂理ではないと言うなら、生物学におけるデザインも、そのような理解で不都合があるとは思えない。つまり、ネオダーウィニズムというのは、物理学のデザインだけが宇宙の原理のすべてであるという主張です。つまり、実のところ生物学と物理学の関係を述べる理論にすぎません。しかし、もし相対性理論と量子論に疑問符が付くのであれば、現代物理学の主張そのものが怪しくなる。とすると、そこを第一原理とすることはナンセンスであろうと思われるのです。
現代科学の最高の三本柱のすべてにおいて、実はあまり真実とは言えないという状況ということが、素直な現実であるのかもしれません。もしそうであるなら、これは人間社会にとってとてつもない大変革なのかもしれません。
それらのことを、微力ながら文章に残そうと思います。
とは申しながら、自分の考えを人に授けるという尊大な気持ちはありません。相対性理論の間違いはあまりに明白すぎるように私には思えます。しかしそれが通用しているということは、何かとてつもない考え違いにはまり込んでいるのは私の方であり、一種の狂気に陥っていはしまいかという不安にずっと悩まされ続けました。どちらかというと、私の素人考えをぶつけてみて、正しい答えがあるなら知りたい、という心です。
つたない説明図や、サイトの洗練されないところは、笑っていただければむしろありがたい。ネット黎明期にあったような、シンプルでダサいサイトが私にはいちばん読みやすく感じられ、ああいう構図が欲しかったのですが、現在あのスタイルは、一から作る専門知識が却って必要なようです。素人である私は、テンプレにはめ込むのが精一杯ですが、それも写真を多用することが前提のサンプルしかなくて……いろいろ画像をはめ込んでみて、結局引っぺがしてしまいましたが、ちょっと求めていたダサさと違う……。
先例のあるアイデアについては、気付く限り明記します。特に書いてない場合、偶然同じ考えに至ったということですのでご容赦ください。
図による説明は、全く絵心のない自分としては実に気の乗らない作業でしたが、わかりやすさのためには必要でした。大変なお目汚しを今のうちに謝っておきます。
書籍のように、順を追って知識を組み上げてゆく情報スタイルに慣れ切った旧タイプの人間につき、ネットのような、どこからでも入ることの可能なモジュール式の知識構成がまだ手についていないようです。そのことが読みにくさにつながることもあるかもしれません。平に、御寛恕を乞う次第です。
一応メールアドレスをつけます。誹謗や、勉強しろ、お前は何もわかってない、等々だけだと、相当落ち込むと思います。まじめな反論や御指摘にはできる限り真摯に答えてゆく所存です。
glencarrig@satoujun.net